10ksで再び心を奪われた

 

前記事を参考にしていただいて充電発表した後からを書きます。

 

 

充電発表され、これは行かないわけにはいかないともちろん思いましたが私は担降りした身で現在進行形でKAT-TUN担の友達とは入るのはなんか申し訳ないと思い、30日は元KAT-TUN担の友人と、田口担だった母親とオーラスは入る予定に。

 

本当は名古屋も行く予定だったのですが家の用事があり泣く泣く諦めました。

 

しかし、当落はまさかの追加公演に回され本当に焦りました。でもその時はKAT-TUNアカをTwitterで復活させていたので無事昔からの友人に譲っていただけることになりました。気づいたら東京公演全ステ☆

 

ちなみにSexy Zoneもツアーをやったので本当に忙しかった……

 

4/29あまりセトリも把握してない状態で東京ドームへ。事前に演出が今回は抑え目だって聞いていたけど、特効、レーザーはもちろん、水も東京ドームからは加わりいつも通りのKAT-TUNコンでした。 まあセトリは10周年だからね。聞きたいカップリングもあったけど昔のKAT-TUNファンも、ライトなKAT-TUNファンも楽しめるセトリにするKAT-TUNは流石だな。と。 In factとUNLOCKは笑うしかない。KAT-TUNらしさが全面に出てる。 最後の挨拶では泣くのを全力で堪えました。まだあと2日ある。まだ最後じゃない。泣くなと自分に言い聞かせて。

 

この時私の中で、もう1度上田担に戻りたいって感情が少なからずありました。何度か不安な時はあったけど。 30日に古くからの友人の上田担に相談をしたらいつでも待ってるよ。今の上田竜也は絶対に裏切らない。と言われ、他の子にも出戻ろうか迷ってると言うといつでも待ってるよと口を揃えて言ってくれるのが本当に嬉しかった。1日に出戻ろうと心の片隅で決めました。

 

そして1日。暗転した瞬間後ろから鼻をすする音が聞こえつられて私も暗転してすぐからずっと泣いてました。最後ではないけれど、これで最後……GOLDも……と考えれば考えるほど走馬灯のようにこの12年間が駆け巡って。改めて私の青春時代はすべてKAT-TUNに捧げ、人生の半分はKAT-TUNで出来ていると実感しました。 しかしKAT-TUNはいつも通り、KAT-TUNらしくコンサートを行っていました。

 

 

私は声帯が弱くあまりキャーって声とか出ないのでいつもペンライトを振っているだけなんですがこの日は自然と声が出ていました。最後まで、最後じゃないけど本当KAT-TUNは凄いなって思いながら見ていました。

 

上田くんソロのチェンユアで「迎えに来たぜ」って言った時は担降りしようか迷ってる私に言ってるのかと錯覚したほど。 もう出戻り待ったナシだったんですけど、ふと見学席を見たら

 

松島聡いんだけど

 

三塁側の天井から秒で分かりました。1番端にいたからだけどまさか来ると思ってなかったんで私どこ見ていいか分からなくなったよね。

もちろん普段は上田くん見てたけどたまに3人バラバラになる時どこ見てるかなって松島くん見てバクステの上田くん見てるの分かった瞬間1人で違うテンションの上がり方してたよね。 オーラスに松島くん来てなかったら間違いなく出戻ってたのにそうやってまたタイミング良いよね!

 

出戻りの話は置いといて。

 

私きみのユメ僕のユメの2番 「もしも神様がいて過去を変えられるとして 何も変えませんよって言える日々にしたいんだ」 がいつ聞いてもなくくらいズシッとくる歌詞でまたここから号泣が始まり、挨拶ではもう覚えてないくらい泣いてました。

 

上田くんの「ファンの人には笑っていて欲しい」でさらに泣いたし30日も言っていたけれど亀梨くんの「KAT-TUNはK亀梨和也A赤西仁T田口淳之介T田中聖U上田竜也N中丸雄一この6人がいなかったらKAT-TUNじゃなかったかもしれない」と全員に感謝をしていて脱退した彼らを煙たがってた自分を恥じました。

 

箱推しになったのはCHAINからでそれまでは上田竜也オンリーでした。そして過去を無いものにはしてませんが、いつもその時のKAT-TUNを応援するだけだから辞めた人はもうKAT-TUNに関わらないし関係ないからとシャットアウトしていました。

だけど振り返ると私が好きになったのは6人のKAT-TUNで6人の時も5人の時も4人時も、そして3人のKAT-TUNも変わらず好きなんだろうなと思っています。

これから先も抜けた3人を応援することはないと思います。でも私もKAT-TUNでいてくれた、KAT-TUNで一緒にデビューしてくれた事に感謝をして行こうと思えました。

 

亀梨和也と言う人間は良い意味で本当にずるい人間だなと(笑)

亀梨くんの挨拶が終わり気づいたらろばまるがハグしてるじゃないですか。とうとう声出して泣きました。 そして振り返った亀梨くんが2人の元へ行き3人でハグ。泣くと分かってたから超薄化粧で行ってたけどもうスッピンになってたと思う。

 

申し遅れましたが私は生粋のろばまる厨です。

その時はろば!まる!が!ハグ!とは考えず、この2人入所当時からKAT-TUNになる前から同じグループにいて、シンメで、その2人が初めてバラバラになると考えたら涙が止まりませんでした。

その後末っ子が泣いてるお兄ちゃん2人を暖かく包み込む姿を見て。ああ、KAT-TUNだな。と。

 

最後捌ける時3人がバラバラに入って行くんですけど向かう方向が一緒んなんですね。みんな真っすぐ前を見て一緒に左を向いて進む。

これからバラバラに活動するけれど、進む方向は一緒だと言ってる気がしてKAT-TUNは何があっても大丈夫。と強く感じました。

 

この間も泣いていたのですがアンコールでは亀梨君が「笑えーーーーーーーー!!!!」って言ってくれてまさに泣き笑い。ピースフルデイズは本当に楽しかった。ふと最後松島くんを見てみたら凄く感動していた。最後の「K!A!TTUN!」って終わった時うわぁって鳥肌が立つような感動をしていたのが伝わってきました。

でもあれは本当に感動した。東京ドームで、いやどのコンサートよりも一体感があった。

トリプルアンコのピスフルはそれをゆうに超えた一体感だったけど。

 

泣いて終わるかと思ったけど最後の最後に私たちファンのわがままに応えてくれたら笑顔で終われた。KAT-TUNを笑顔で送り出せた。凄く幸せだった。

 

家に帰ってから一気に虚無感が押し寄せてきて枕を濡らしたのは秘密。

 

 

そのあとセクゾ大阪公演があったのでそこで友人と話していたんです。

「アンコールって本当に出てきてほしかったら自然と声が出る。これは絶対に最後のコンサートってならないと分からないと思うけど、セクゾもそうなればいいね」と。

今回Sexy Zoneは映画撮影中の佐藤勝利以外は見学に来ていたので感じたものがあったのではないか。あの素晴らしい背中を見せてくれたKAT-TUNを見てライブを、グループを作り上げて欲しいと心から思いました。

そのおかげかオーラスは物凄く楽しかったです。

 

KAT-TUNはファンだけではなく後輩へも素晴らしいコンサートを見せてくれたと思います。

私自身も初心に帰れた気がしました。

KAT-TUN本当にありがとう。やっぱり私の中でKAT-TUNは特別な存在であり、なくてはならない大事な大事な私の一部です。

 

そしてKAT-TUNが絶対大丈夫って思えるのは「待ってる」と言ってくれるファンがたくさんいるからだと思います。

セクゾを下げるわけではありませんが、もし今充電期間に入りますって言ってラストライブをしても絶対にKAT-TUNファン以上に「待ってる」と言えるファンはいないと思います。

それだけKAT-TUNとファンの絆は決して切れない強いものがあるんだなって思います。

そりゃ3回もいろいろあっても離れないんだもん。KAT-TUNはその時いつも全力でファンを裏切らないようにって全力で応えてくれるんだもん。そりゃ生半可な絆じゃないよね

 

私はまだ正直出戻る覚悟は結局できていません。ブログタイトルにもある通りぶっちゃけ掛け持ち状態ですが私の中の変なポリシーがあり掛け持ちはしたくないんです。

とか言って降りてる間もCD全部買ってるしね。なんならUNLOCK7枚買って4枚セクゾ担に配ってるからね。

 

まだ完全には上田担に戻ったわけではありません。でも一回離れた心をここまで引き寄せた責任は取ってほしいから早く充電完了して戻ってきてください。その時私はどうなっているか分かりません。でも笑顔でKAT-TUNを受け入れる準備はすでにできています。待ってるからね!!!!!!!!!!!

10ksまで

今流行りのブログに乗っかってみます☆

 

この記事ではKAT-TUNライブ10ksが始まるまでの私の壮大なジャニヲタ歴史を綴ります。

私は12年ほど前に小学生で体育倉庫で「かつーん?ってグループの赤西と亀梨っているじゃん?どっち派?」と言う話題になり全員が赤西派。ジャニーズに興味がなくモーニング娘。にしか興味なかった私は天邪鬼を発揮して亀梨と言ってから何故か亀梨和也を意識するようになり、本当に亀梨和也が好きになっていました。気づいたらごくせん2にこの二人が出るとなりKAT-TUN自体が物凄く有名に。

当時は亀梨にしか興味がなかったのでKAT-TUNはこれっぽっちも目にとめていませんでしたが、有名になれば話は別。いやでもKAT-TUNが目に入ってきます。そんな中毎月500円のお小遣いをためて初めてアイドル誌を買った時衝撃が走りました。

 

 

 

上田竜也かっこいい

 

 

なんとも思ってなかった自分バカなんじゃないの!?!?!?って自分を恨みながら当時中学生の私は軽率に上田担になりました。今思うとここからが本当のジャニヲタの始まりだったかもしれない。ならもうごく出でもいいよ(逆ギレ)

今だから話せるけど当時はもうバッシングの嵐で共感してくれる人なんて一人もいませんでした(笑)

 

それでも私は典型的な痛いジャニヲタとして中高と「上田君と結婚する」と周りに言いながら過ごしていきました。コンサートにも行っていましたが、学生時代はずっと部活をやっていたので女王コンなんてダブルアンコールしか行けなかったくらい全然いけてませんでした。

ダブルアンコールしか行けないのに行った高校生の自分本当に馬鹿だと思う。

 

1人抜けても特にダメージなく安定の上田担で、2人目はリア充の時期でちょっと離れていたのでショックだったけどまあまじかで済むくらいでしたがその間に破局をし、またどっぷりKAT-TUNに浸ってた大学4年生になった春。事件が起きました。

 

阿部顕嵐かっこいい

 

 

Jr.はキスマイがデビューしてから興味が全くなく仁亀厨がじぐいわじぐいわうるせーなとは思ってたくらいでした。

 

あ、お気づきだとは思いますがこのブログ長くなります。

 

SHARK2で見たあらんちゃんがイケメンすぎてひきました。からの近キョリ恋愛。リア恋まっしぐらでした。

夏のセクゾコン、あの地獄(だったらしい)のたまアリ。めっちゃ安かったんですよ。あらんちゃん目当てに行きたいと思っていました。でも1日3公演のみで運悪く1日きれいにバイトが入っていたので断念。

あの時行ってたらきっとあらん担になっていました。

 

それから中丸くんが司会を卒業してからめっきり見なくなった少年倶楽部を再び見るようになりJr.に興味を持ちました。とは言ってもクリエセクボくらいしか把握していませんでした!

 

そんな私を見て友人から「ガムシャラって言うJr.のコンサート行かない?」と言うお誘いをいただき、KAT-TUNのcome Here真っ最中でフォーラム、横アリ、仙台、札幌、代々木と行っている最中、行く予定だったのですが普通に行きましたよね。現場厨だったしJr.知らないけど見てみたかったし。

手ぶらも同然で行きますよね。あらんちゃんいないし。

 

会場に入ったらもう驚愕。脳内お花畑じゃなくて頭にお花咲いてるしカンペの嵐だし規定外の団扇大量だしKAT-TUNコンではあまり見ない光景だったので正直生理的に無理…って一歩引いて開演を待っていました。始まるじゃん?始まって早々

 

 

 

松島聡かっこよすぎる

 

 

Sexy Zoneのことはもちろん知っていました。でもメンバーの名前をフルネームで言えって言われたら多分言えなかった。ってか松島聡は絶対に出てこなかった。それくらい興味なかったし、夏祭りに出ることは知っていたけどこれっぽっちも関心がなかった。風の噂でSexy Zoneが3人で活動する?みたいなことは小耳に挟んでいたけど可哀想とも思わずへーとしか思っていなく、Jr.の現場に出されるのは屈辱的だろうなーとしか思っていなかった。

 

でも彼らは違った。普通なら腐るところなのにキラッキラの眩しい笑顔で踊っていた。私は今までに感じたことのない感情が出てきて「この子を応援したい」と本能的に思った。

ダンスが凄いと思ったらファンサも凄い。バルコニーでのファンサタイムは度肝を抜かれた。多分松島くん宛のカンペには全部答えてた。私はKAT-TUNコンに行ってもファンサなんて求めていないしトロッコで上田くんが近く通っても絶対お尻向かれる強運の持ち主だったからとにかく衝撃的で、しゃしゃると言うことが恥ずかしくてただファンサを見ていました。

 

公演終了後友達に「聡くんやばい…なんなの」って思わず心の声が漏れて言っていました。

 やばいとは思ったんですけど、近キョリ恋愛真っ最中。やっぱりあらんちゃんんんんんんんになっていました。

 

そんな時君にHITOMEBOREのイベントでハイタッチがあると。あらんちゃんいるかな!って淡い気持ちを抱きながら応募。私これまたCD関連本当に当たらない強運の持ち主で全プレと言われていたものも外れるくらい。なので何も期待せず応募したらまさかの当選。

 

神様って意地悪だよね。こうやって気持ちが揺らいでる時に当選。しかもKAT-TUN様に触れたことないのにSexy Zoneとはもう触れ合えちゃう。落としにかかってるよ。

 

あらんちゃんいればいいなーいなかったら聡くんでいいやってカスみたいなことを考えながら2人分の団扇を持参。初めて団扇なんざ作ったよ。不器用すぎて笑ったよ。

 

あらんちゃんはいないとの情報を聞いたので聡団扇を持つことに。結果から言うと

 

 

 

釣られた。完全に釣られた

 

 

あの子は何なんだ!?あの短い限られた時間であんなにポンポン返しよく思いつくな!?しかも自分のファンだって分かった瞬間手握ってきたな!?もう勝利、マリウスの前に私進んでるのに手離さないな!?AKBも好きで握手会行きまくってた私だけどこんな子みたことないよ!?って初めて釣られてテンションアゲアゲな単純脳。

 

もうそこからは松島聡フィーバー止まらないですよね!松島用のアカウントを躊躇なく作りました。

11/27松島くんの誕生日の時Twitterでお祝いをしていたら本当に愛されてるんだなと思い、降りようか迷いました。

 

でもここで忘れ去れていたと思いますが私は上田竜也担当です。気づけば10年以上担当。初めての担降り。とにかく葛藤しました。カウコン大阪もあったし席も凄く良かったので上田担じゃないやつがこんな席入ることは許されない。カウコンまでは上田担でいよう。それからは分からないって決めました。

 

だがしかし事件は起きます。神様は本当にいじわるです。12/8と言えば分かる方もいらっしゃると思いますが、一人暮らしをしていたのですがたまたまその日実家に帰っていて超絶暇だったんです。

ふと「今日って少クラの収録だよな…行こうかな」と。あらんちゃんはこの時常連で、松島くんは出ていなかったのですが今行かなかったらなんか後悔するって思い気が付けばNHKへ。実家にいたので団扇も何もなく行きました。そうしたら

 

松島聡いたよね

 

 

私気づいたら泣いていたんです。だってずっと出ていなかった聡くんがいるんだよ!?聡マリ担、セクゾ担だったらいるって事分かっていたかも知れない。でも私は知らなかったので本当に嬉しかったんです。しかもその時の会場の歓声が凄くてそれにも感動しました。

もうこの時に松島担になると決めました。

 

でも、この時はまだカウコン前。でも、もう降りずにはいられませんでした。決してKAT-TUNが、上田竜也が嫌いになったわけではありません。ただ1番に応援したい子が新しくできた、それだけだったんです。

 

カウコンにはもちろん行きました。まだ降りて3週間ほどしか経っておりませんでしたし私も友達も降りたのが信じられず実感も自分でもわかず特に触れずにKAT-TUNと年を明けました。

 

松島担になってからのセクゾ話は割愛します。

社会人1年目になり土日が確実に休みとは決まっていなかったのでquarterは申し込みませんでした。正直Sexy Power Tourで忙しくて振り込む余裕がなかったのもあります。

しかし、ゆとり世代の私はあろうことか1か月で正社員を辞めました。=quarter行ける!最初は1日だけでいいと思い9日のチケットを無事見つけ行きました。そうしたらやっぱりKAT-TUNKAT-TUNだ。久しぶりの東京ドームと言うのもあり物凄く楽しかった。

RAYは言わずもがな、私が地味に一番好きだったのが「PHANTOM」です。あの世界観がKAT-TUNだなーと思って見ていました。

やはり1日では足りず、コンサート終わってすぐ明日のチケットも探し無事友人が譲ってくれるとのことで元気よく10日も行きました。

 

担降りしたけれどもやはりKAT-TUNのことは大好きで、特に上田竜也は特別な存在だと実感しました。

その時彼が流した涙は何も気にせず。

それからは特にKAT-TUNで大きな活動もなく、青い瞳を見に行く程度でした。 その時はファンサの楽しさを知って本当に狂っていて正直KAT-TUNの存在が薄れていてKAT-TUNファンとの温度差をじわじわと感じていてこれはもしや完全に離れてしまうのかと思っていました。 そんな時に悪夢のベストアーティスト。リアルタイムで見ていて録画もしていますがまだ録画はNEWのまま見られていません。 その時ちょうどSexy Zoneが5人に戻って凄い幸せだったんです。そこからの再び地獄。 本気で私が好きになるグループは両方が幸せになることは出来ないのかと自分を恨みました。 一晩中号泣。脱退よりも憔悴しきってる3人を見るのが辛くて田口くんを恨みました。ふざけるなと思いました。信じられなかった。初めてヲタク辛い。辞めたいって思うくらい病みました。 そこからの充電発表。仕事の休憩中に知り休憩室で静かに泣きました。 ここまでが10ksまでの私の道のりです。 途中で離れたとは言え12年間KAT-TUNを見てきたつもりです。まさか12年前こうなるとは思っていなかった。いや、1年前も思っていなかった。 次の記事ではライブ10ksに行って感じたことを書きます